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コラム 牧師の書斎から

2013年11月17日 澤村信蔵師

だんだん寒くなってきましたが、この時期思い出すのは、雪ですね。北海道にいたときには、11月に入るのと雪が降り始め、来月になると根雪といって、ずっと解けない季節になっていきます。最初はきれいだと思っていた雪が、もう見たくないと思ったことを思いだします。

でも、雪は不思議ですね。いろいろな形があります。写真で見たことがありますが、その一つ一つの氷の姿を見ているだけでも楽しいものです。同じ水が凍ったはずなのに、形が違うのです。それは雪だけじゃありません。冷蔵庫で出来る氷には、白いものが混じっていますが、売っている氷は、透明です。何度かジュニアチャーチの集まりでかき氷をしましたが、売っている氷は本当にきれいですね。その違いは、ゆっくりゆっくり凍らされるからです。水を流しながら製氷したりしているのです

冷蔵庫ではあまりにも早く凍りすぎで、不純物が外に出されてしまう前に凍ってしまうから、白く残るのです。

私たちの人生にも同じことが言えるのかもしれません。私の母は元気がなくなったり回復したりということを繰り返しています。その原因は、今まで自分の思いをしっかりと整理できていなかったからなのかなと思います。これまでも悲しいことがあったり、無気力になったり、いろんなことが起きているのに、それを見ないで無理して元気に装って生きてきてしまったのではないかと思います。そして今になっていろんなものが噴き出しています。その姿は何か急速に冷やして不純物を閉じ込めた「濁った氷」のようにも思えます。確かに、無理して元気に装っていかないと立ちいかない状況もあります。でも、悲しむ気持ちに気づいたり、こみ上げてきた時には、ふと立ち止まって、しっかり泣いたり、悲しんだりすることも大切ではないでしょか。決して悲しむことは悪いことではありません。むしろ、泣いたり、嘆いたりすることによって、心の不純物が押し出され整理されて歩んでいけるのです。神は、「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」(ローマ12:15)と語っておられます。止まって嘆いて泣いてという時も私たちには必要です。周りからは急げという声が聞こえてきますが、時にはゆっくり自分らしく歩んでいきましょう。