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コラム 牧師の書斎から

2014年1月12日 澤村信蔵師

「あなたはどこにいるのか?」

この言葉は、創世記3章9節に出てくる、神がアダムに語られた言葉です。神は、エデンの園にアダムを置き、また、アダムから女、エバを造られました。そして、園の真ん中には二本の木があり、一本は、いのちの木であり、もう一本は善悪の知識の木でした。主である神は、アダムに、「善悪の知識の木から実を取って食べてはならない。食べると、必ずあなたは死ぬ。」と警告しておられました。でも、結局エバは蛇に惑わされ、実を取って食べて、またアダムにもその実を渡して、アダムも食べました。

結果、アダムとエバは自分たちが裸であることに気づきました。そこで彼らは、いちじくの木の葉をつづり合わせて、腰のおおいをつくりました。けれども、内から出てくる恥と罪意識は取り除かれませんでした。その時に、いつもの神の声が聞こえて来ました。それまでなら、すぐに神に近づいたでしょう。でも、主の声を聞いて恐くなって木の間に身を隠したのです。その時、主は、「あなたは、どこにいるのか?」とアダムに声をかけられたのです。

貴方がアダムだったら、この声をどのように聞きますか?警官が犯人を探しているような尋問の声として、「お前は、どこにいるのだ!」と叫んでいる声に聞こえるでしょうか?それとも、迷子になった子を探す父親の声のように聞こえるでしょうか。愛する子を失い、涙があふれ出て、声がからからになって、「おまえは、どこにいるのかね?」と優しく語りかける声に聞こえるでしょうか?

同じ「あなたはどこにいるのか?」という言葉でも、自分がどのように神を見ているかによって、その声の聞こえ方は変わってしまいます。もちろん、聖書の神は、私たちを捜して見出してくださる神です。それも、「あなたはどこにいるのかと」語り、「本来あなたのいるべき場所はわたしのそばだよ。どうしてあなたはわたしのそばにいないのか。わたしの元へ帰っておいで」とおっしゃっているのです。今日も主は私たちに語りかけておられます。「あなたはどこにいるのか。」と。神のもとへ帰りましょう。