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コラム 牧師の書斎から

2014年4月27日 小平牧生師

イースターは世界中で祝われています。今や日本でもイースターとかハレルヤという言葉がテレビでも聞かれるようになりました。三年ほど前にある吊り広告を電車の中で見つけました。ディズニーランドの広告ですが、そのキャッチは「この国にイースターの季節がやってきた!」というものです。私はこの広告のことばを預言的に受けとめて、必ずイエスキリストの十字架と復活のニュースが日本をおおう時がやってくると信じます。

ところで、みなさんはイエスキリストの復活を信じていますか。って、こんなことを聞くことがおかしいかもしれませんが、「あの人、本当に信じているのかなあ」と思うようなことも多いのです。かく言う私も、「なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか」(ルカ24:5)ということばを読んだ時に、もう一度自分の信仰と生き方が探られました。もちろん、私はイエスキリストの復活を信じています。では、なぜ、今なお墓の中を探すような生き方をするのかということです。もちろん、私たちは墓の中に入ってしまった人を神として礼拝することはしません。しかしやがて朽ち果てるものや人になんと心を奪われているでしょうか。「イエスキリストは主」と言いますが、あなたの宝は墓の中にあるのではないでしょうか。

イエスキリストの十字架を思うことは大切なことです。しかしイエスキリストはよみがえられたのです。墓にはおられないのです。復活の喜びのない十字架信仰は墓の中に遺体を探すような信仰です。愛してくださったことだけを懐かしんでいるのが信仰ではありません。あなたは、イエスキリストが今生きておられ、あなたとともに歩んでいる事実をどのように受けとめて生きていますか。多くのクリスチャンは、すでにこの世にはいない過去の人物のようにイエスキリストを信じています。聖書をまるで遺言のように読んでいます。そのために聖書そのものよりも他のものに影響を受けています。イエスキリストは今もあなたに語っておられるのです。