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コラム 牧師の書斎から

2014年5月11日 澤村信蔵師

「シセラの母は窓越しに、格子窓越しに外を見おろして嘆いた。『なぜ、あれの車の来るのがおそいのか。なぜ、あれの車の歩みが遅れているのか。』(士師記5章28節)

ここには、戦場に向かったわが子の帰りを待ちわびる母の姿が描かれています。息子はおそい。何かあったのではないか。シセラの母は待ちきれず何度席を立ったことでしょうか。出来るなら格子窓を切り捨ててしまって、身を乗り出して、もっと遠くまで見たいと思ったことでしょう。彼女にとってシセラは自慢の息子でした。シセラは、カナンの王ヤビンに仕える将軍で、鉄の戦車を900両、その上20年もの間、イスラエルを支配していたほどの男でした。将軍になって20年ということは、恐らくシセラは50歳前後になっていたと思われます。もう大の大人なんていう年齢をはるかに超えた年齢であったことは間違いありません。すると、母親は70才前後であったはずです。そんな高齢になるまでずっと息子の安否を気遣い続けていたのです。母親の姿って本当にありがたいものですね。あなたの母もシセラと同じように心配しているのではないでしょうか。「なぜ遅いのか」「なぜ遅れているのか」母の心はいつも休むことなく、寝ても覚めても、心の窓越しにわが子の安否を問い続けて、無事な帰りを願っているのです。そして、そのような母に対する最大の孝行は、子どもである私たちが幸せで元気に帰ってくることです。でも、もしかしたらあなたの母親は、シセラのようではなかったかもしれません。でも、たとえそうだとしても、あなたを心配してくださる親がいます。それは私たちの親である神様です。「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(Iペテ 5:7)そして、私たちを心配してくださる神様の願いも、私たちが幸せで元気であることです。そして、無事神の元へ帰ってくることです。今日は母の日です。母親に心からの感謝をささげましょう。そして、私たちに母を与えてくださり、今日も私たちを心配してくださる神様に心から感謝をささげましょう。