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コラム 牧師の書斎から

2014年6月8日 小平牧生師

教会とは建物のことではなく「クリスチャンの集まり」であることはみなさんご存知ですが、しかし「クリスチャンの集まり」と言っても、クリスチャンが集まってできたものではありません。神様が集められたものなのです。何がちがうのかと言われるかもしれませんが、全然ちがうのです。つまり、私たちのからだというものは手や足や頭などの各部分の集まりであっても、それは手や足などが集まってからだができたのではないということです。そんなからだはないのと同じです。

このことは教会についていろんなことに影響を与えます。たとえば、「教会は人が集まったもの」と考える人は、人を集めようとします。人が中心になります。だれかの教会という考え方になります。しかし、教会は神さまによって集められたものであり、私たちを集めた神様が中心であり、神様の教会なのです。「教会は人が集まったもの」と考える人は、集まっている人が自分と同じ考えか、そうでないかがいつも気になります。自分の気に入る教会をつくろうとします。しかし神さまの気に入る教会を目指すべきです。教会は「神さまが集められたもの」、神さまが集められなければ絶対に集められなかったような人々が、神さまによって集められたのです。ですから自分の教会を大切にするということは、神さまに対する信仰の表れであると思います。このことを本当に信じて大切にする人は、自分とは異なる人に目を向け、その声を尊びます。一つの考え、一つの意見で教会が支配されるなら、それは仮に多くのクリスチャンが集まっていても、教会ではありません。教会の一致は私たちの一致ではなく、私たちが神さまに一致することによって生まれるのです。

今日はペンテコステ。教会が教会であることができるように祈りましょう。