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コラム 牧師の書斎から

2014年7月6日 澤村信蔵師

先週、安倍首相が集団的自衛権行使についての憲法解釈を変えました。抑止力を持つ事によって、平和を維持しようという考え方は、理解することは出来ます。実際平和憲法を持っているからといって、戦争に巻き込まれないという保証はどこにもありません。戦後平和であったのは、日米同盟があり、アメリカの傘の中にあったからでしょう。現実に平和を維持していくために何をすればいいのか、答えは一つではないでしょうし、時代とともに変わることもあるでしょう。でも、どうあれ憲法解釈を変えるという手段はいただけません。日本は立憲主義です。憲法は、すべての法律の基としています。それとともに、行政を制御するものでもあります。でも、その憲法を解釈によって変えてしまうことができるとなると、行政府である政府を制御するものが何もなくなってしまいます。定規は変えずに、定規の目盛だけ好き勝手に読んでしまいましょうというやり方だからです。

私たちにも、最高の基準があります。それは聖書です。聖書66巻は、聖典(カノン)です。カノンは、定規とか基準と訳されますが、まさに、私たちの生活すべての基準であり、これに合わせて量る定規でもあるのです。「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」(IIテモテ3章16節)とあるように、神様は御言葉を通して私たちを正してくださるのです。だから私たちはこの聖書以外のものを基準としてはならないのです。たとえどんなに素晴らしい先生であっても、その先生が言ったから、行ったからということを私たちの基準としてはならないのです。その先生の言葉が、聖書に書かれていることであれば、従い行うべきです。でも、そうでないならそれを基準とはしないのです。私たちに与えられている聖書の言葉は、昔も今も変わらない確かな神の言葉です。「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」(マルコ13章31節)永遠に変わらない神のことばに忠実に従って歩んでいきましょう。