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コラム 牧師の書斎から

2014年7月13日 澤村信蔵師

かつてサンフランシスコの市庁舎の前の広場に沢山のホームレスがいました。ホームレスが100人を超した時、大勢の観光客の美観を損ねるからと市は悩んだ末に、住居を無償で提供することにしました。それでも、問題は解決しませんでした。それは、当のホームレスたちが市庁舎の広場に集まって「我々にどこでも寝れる自由を!」「居住の自由を!」「広場で寝る自由を!」と叫んで反対デモをしたからです。そして、結局なおも広場に居続けることになったそうです。彼らの主張する自由とはなんなのでしょうか?確かに、彼らは自分たちの考える自由を追求しました。でも、問題は、それが自由だと確信していましたが、実際は自由でもなんでもありませんでした。多くの人は、暖かい家の中のふかふかのベットで寝ることを体験したら、そのままでいたいと思うはずです。でも、彼らは、自分たちを家に閉じ込めるなと叫んだのです。それは、彼らの考え、世界観から来るものです。彼らにとって、暖かな家やふかふかのベットよりも、公園で寝る自由の方が良いと思ったのです。これは、極端な例かもしれません。でも、私たちも同じように、同じようなところで変わらずにいるのは、私たちの価値観が変わっていないからではないでしょうか?世界観、考え方が変わらないと、人生は変わりません。表面や目先のことをいくら変えても、考え方が変わっていないなら、少しは良くなっても、しばらくするとまた元通りになってしまいます。私たちが良い人生を行きたいと願うなら、価値観から変えて行かなければなりません。そして、この世界に聖書の世界観より完全な真理はありません。御言葉によって生きる時、私たちの価値観が根底から変わるのです。そして、「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8章31節)とあるように、真理こそ、私たちを自由にするのです。御言葉に従うことは勇気のいることです。しかし、そこにこそ本当の自由があるのです。今日も私たちを自由にする御言葉に耳を傾け、御言葉に従い、本当の自由を生きる者とさせていただきましょう