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コラム 牧師の書斎から

2015年1月18日 小平牧生師

「一人でいられるようになることは、愛することができるようになるための一つの必須条件である。自分の足で立てないという理由で、誰か他人にしがみつくとしたら、その相手は命の恩人にはなりうるかもしれないが、二人の関係は愛の関係ではない。逆説的ではあるが、一人でいられる能力こそ、愛する能力の前提条件なのだ。」

エーリヒ・フロムの「愛するということ」から引用しました。

結婚を望む動機を聞くと、「一人でいることができないから早く結婚したい」と答える人は少なくはありません。しかし、フロムが言うように「一人でいられる能力こそ、愛する能力の前提条件」だとするなら、そのようにして結婚した人の結婚関係は難しい局面を経験するでしょう。愛の関係とは、「自立した者」が「互いに自分を相手に与える」ことによって築かれていくのです。一人でいられる人こそが、愛を与えることのできる人であり、一人でいられない人は愛を求める人であって、相手を束縛する人となります。フロムは「命の恩人」という言葉を使っていますが、ある人があなたにとって「なくてはならない大切な人」であって、もしその時に相手を与える人とだけ見ているとすれば、その関係はやがて壊れます。なぜならば、だれ一人としてあなたにとってそんな存在であり続けることはできないからです。共依存という関係は二人の人が「助けを必要とする人」と「なくてはならない大切な人」を演じ続ける関係です。その意味において、私たちはだれかにとって「なくてはならない大切な人」であることや、そうなることを求めてはなりません。「なくてはならない大切な人」は、イエスキリストお一人だけです。

さて、私たちが「一人でいられるようになるために」もっも良い方法は何でしょう。それは、一人で孤立することではありません。「神様とだけ時間を過ごすことに積極的な意味を見い出す」ことだと思います。

手帳を真っ黒にするような生活からは、本当に大切な出会いは失われていきます。むしろ定期的な「孤独の時間」を手帳に書き入れて、その時間を確保しましょう。愛する人となるために。