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コラム 牧師の書斎から

2015年2月8日 澤村信蔵師

NHKで「マッサン」を放送中ですが、ヒロインでる竹鶴リタは、スコットランド生まれのクリスチャンです。そのこともあって百万人の福音の中でも特集が組まれていました。何人かの方が書かれていたのですが、その中で身近におられたお手伝いの水田さんへのインタビュー記事に目が留まりました。彼女がどうしても忘れられない出来事だといって紹介していたのですが、竹鶴家にはお正月に使う瀬戸物がありました。「これは、竹鶴家の大切なものだから絶対に割らないでくださいね。」ときつく言われていたのですが、それを不注意で割ってしまいます。もう顔も上げられずにいると、リタさんは声も荒げず、「形あるものはいつか壊れます。心配しなくていいです。」と語ったそうです。弁償しようと思ってもできなくてどうしようか思っていたにもかかわらず、当然怒られると思っていたのですが、不思議な気持ちでしたと記されていました。

とっさのときに、人間の本性は出るのかもしれません。リタさんの赦しの姿勢は、まさにイエス様が私たちにしてくだった贖いから出ていると思います。私たちは、どうやっても償えないほどの大きな大きな失敗をしました。でも、イエス様は言われるのです。「あなたは心配しなくてよい。あなたの罪は赦された。」と。そして、「私があなたの罪の身代わりになる」と。私たちは、なんという恵みの中に生かされているのでしょうか。自らの取り返しのつかない過ちを何の犠牲も払うことなく、ただ恵みによって哀れみによって赦されたのです。リタさんはそのことを心の奥底で実感していたからこそ、人の過ちを赦すことができたのでしょう。最後に水田さんはこう締めくくっておられました。「『友人からあなたは人と考え方が違うのね。』と言われるのです。もしそうだとすれば若い頃にリタ奥様とであったからかもしれません。」と。私たちも、リタさんと同じく、このことをすでに体験させていただいたものです。私たちも神に赦されたものとして、赦しを与えるものとさせていただきましょう。