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コラム 牧師の書斎から

2015年3月8日 小平牧生師

ご存知のように、私たちの社会は今まで経験したことのない時代に入っていこうとしています。日本社会は10年前の2004年をピークに急激な人口減少と超高齢化社会への道を歩み始めました。それは教会の働きや教会開拓のあり方と無縁ではありません。特に教会から子どもが少なくなりましたが、その傾向はさらに進むでしょう。4-14歳のことをこの欄に書いたことがありますが、この14歳までの若年層は2004年から2050までの間に半数になると言われています。そしてこのことは日本社会にさまざまな影響を与えます。

その影響についてはここで触れることはできませんが、ある人々は、社会の変化とともに教会を形成する人々の様子も変わってくると指摘します。「学歴があり、日本国籍を持ち、経済的に安定し、結婚し、子どもがおり、社会参加し、精神疾患を経験していない」人々が教会の多数であった時代は過ぎ去ります。そして「フリーターや無職、外国籍保有者や片親が外国人の人、社会参加が不可能な方、貧困生活者、一人住まいの方、片親家庭、精神疾患を患っている方」という方々が教会の多数となると指摘します。

私たちの中には、前者のような人々の教養や地位や経済によって教会が維持され伝道が前進することを理想としていたことはないでしょうか。しかし、よく考えればそれは正しい姿ではありません。そもそも聖書が描く教会はそんな「立派な人の集団」でも「社会の勝ち組の集まり」でも「同じような人々のサークル」でもありません。もし私たちがかつてそうであったとしても、その理想像にそった教会をこれからも開拓しようと思っているなら、私たちは宣教の使命を果たせないだけではなく、私たち自身も立ちゆかなくなるでしょう。むしろ今こそ真の成熟の姿を明確にする時です。高度経済成長期のような繁栄や成功とは異なる、成熟した教会が貧しさと弱さのなかで実現していくのです。そのために現在の問題は回避すべき災いではなく、むしろ強いられた恵みなのでしょう。