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コラム 牧師の書斎から

2015年3月15日 小平牧生師

生において、Doing(行い)とBeing(存在)のバランスはとても大切です。ここにも何度も書いていますが、Beingの大切さはもはや言うまでもありません。神様は私達の存在そのものを喜んで下さっているからです。また、全てのDoingの土台にはしっかりとしたBeingが必要です。誤解のないようにしたいのは、「Beingが善であって、Doingは悪である」というような二者選択的な考え方です。DoingかBeing、どちらかではありません。どちらも大切なのです。

問題は、私達の内側のあり方や成長を伴わないままに、行いによって表面だけを取り繕ってしまうということです。そういうこともあってか、またDoingに偏っている社会への反省や、教会さえもそのような傾向になりがちであることへの警告もあってか、この頃では反対にDoingは捨て去られてBeingばかりが言われているような気がしないでもありません。しかし、それはそれで、バランスが崩れていきます。教会は、個々の存在そのものを大切にする共同体です。それと同時に、神様から与えられた使命を行う共同体でもあります。ですからDoingを無視はできません。

BeingとDoingの関係の大切さを考えていた時に、このふたつを結ぶBecoming(成る)ということについてのある文章で読みました。Beingとは決して静的な存在ではなく、イエスキリストにあるいのちある存在ということです。ですから真のBeingに生きるならば、必ず真のDoingが生まれています。そしてそのためのBecomingへと導かれるのです。

BeingとDoingを結ぶBecomingがあることを見逃さないで下さい。この部分をしっかりやらなければ、と思わされています。