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コラム 牧師の書斎から

2015年4月5日 澤村信蔵師

今日は、イースターです。イースターは、主イエスが、十字架にかけられ、死んで葬られた後、3日目によみがえられたことを記念してお祝いする日です。この復活は、私たちの信仰の根幹にかかわります。

パウロが、「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。」Iコリント15章17~19節と語ったように、復活がなければ、クリスチャンは最も愚かな者になります。しかし、事実復活はあったのです。

2000年前、使徒たちを始め、実に5千人のもの人が、よみがえられた主イエスに出会いました。それだけではありません。使徒たちは、この主イエスが復活したという一点を主張し続けたことによって、迫害を受け、最後には皆処刑されていきました。自分のために嘘をつく人はいますが、命をかけてまで嘘をつく人はいません。最後まで復活があると貫いたのは、そこに真実があったからです。

しかも、当時、主イエスの復活を否定しようと、ユダヤ当局が必死になっても、結局否定することはできませんでした。クリスチャンでない人々の文献も含めて客観的証拠は残っています。様々なことを考えていくと復活したとしか言えない出来事があるのです。

でも、私たちは復活の事実を証明しようと試みる必要はありません。なぜなら、私たちがその復活の主にお会いしたからです。私たちの人生の中で、主イエスとの出会い、そして、主イエスとの交わりがどこをどうやっても打ち消すことが出来ない事実になったからです。そして、福音はそのことを体験した人たちによって伝えられてきました。今日は、すでに天に帰られた先輩たちのお姿を写真で見ながら思い起こす時を持ちます。この先輩たちは、私たちにご自分の人生を通して、この復活の事実を伝えてきてくださったのです。そしていつの日かよみがえるのです。私たちもこの復活の事実を伝えていきましょう。