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コラム 牧師の書斎から

2015年5月3日 小平牧生師

イエスキリストこそ私たちの主です。この方こそこの世界の全てのものの創始者、そして完成者であり、教会のかしら、人生の主です。他に並び比べられることのない唯一の神です。教会の成長とはただこの世において影響力を持つことではなく、私たちがよりイエスキリストの権威のもとに生きるものとされることであり、教会がその働きのすべてにおいてイエスキリストの権威を具体的に明らかにしていくことです。そもそもクリスチャンという呼び名は「あの人たちはイエスキリストにしたがっているのだ」と、人々が言い始めたことによってつけられたあだ名です。

しかし、このアタリマエのことが実際の生活では知らず知らずのうちにすり替えられていきます。ワーシップでは「Jesus is the Lord!」「イエスは主」と歌いますが、実際は「おれが主」です。社会においては、貪欲、権力、成功というような様々なかたちの偶像が溢れています。そしてそういうものを得るためにイエスキリストを用いるという考え方さえあります。祈りや信仰によって、より豊かな経済、より大きな力、より強い健康が与えられることが神の祝福であるように語られる「繁栄の福音」が説かれ、クリスチャンでさえ結果的に神よりも富に仕え、その力や豊かさを誇ります。世俗主義に染まり、相対主義に巻き込まれて、イエスキリストの独自性に対する私たちの信仰をうやむやにする誘惑が満ちているのです。自己実現のために信仰の力を利用し、自分の夢を達成するためにイエスキリストを使います。そのような中にあって、私たちはイエスキリストが主であることを、現実的に取り戻さなければなりません。しかしそれは人に対して強いることではなく、私たち自身がそのように生きるということです。