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コラム 牧師の書斎から

2015年5月24日 小平牧生師

今日は、2015年のペンテコステ、聖霊降臨記念日です。

あなたは、聖霊なる神様をあがめながら生きていますか。聖霊は神様が私たちに与えてくださるエネルギーや力ではなく、聖霊ご自身が人格的な神です。聖霊は私たちの人生に身近に関わってくださっていますが、たとえば、私たちが自分の罪を知るのは、その人の罪意識の深さによるのではなく、聖霊なる神様が働かれるからです。私たちが神の愛と十字架の意味を悟り、その十字架のゆえに私たちの罪が赦され、神の子とされたことを確信させるのも聖霊なる神様です。ペテロの説教に対して人々が心を開いたのは、ペテロが雄弁であって、彼の話がすばらしかったからではありません。おおよそ悔い改めるはずのない人々が自分の罪を認めて「救われるためにはどうしたらいいのか」と聞いてきたのは、聖霊なる神様が働かれたからです。

人々を感動させることは聖霊によらなくてもできると思います。聖霊によらなくても人々は聖書に感心を持ち、信仰の決断さえします。クリスチャンよりすばらしい人もいます。しかし、人が罪を認めてイエスキリストを主と受け入れるのは、聖霊によらなければなりません。私たちは知識で説得したり、姿や業で感動させることはできても、人を生まれ変わらせることは人間にはできないのです。ある人たちはイエスキリストを信じたと口では言います。洗礼も受けます。でも信仰生活は続きません。人生も変わらないのです。生まれ変わっていないからです。そんなことを繰り返していてはなりません。助けが必要な時だけ「聖霊を与えてください」と祈るのではありません。私たちの仕事や伝道を聖霊が助けるのでもありません。聖霊があなたの人生のすべてを導かれるのです。むしろ私たちの与える人間的な力や感動が、聖霊を押しとどめていないか吟味すべきです。