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コラム 牧師の書斎から

2015年7月12日 小平牧生

先日、教会の青年達に大正と昭和のリバイバルとホーリネス教会の受けた弾圧について話して欲しいと依頼され、小林廉直先生の書かれた文章を久しぶりに読みました。

先生は本当にリバイバルを求めていた方です。愛する日本の人々がなだれをうつようにイエスキリストのもとに来ることを、教会が人であふれることを、どこの教団であろうが、どこからでもその御業が始まることを求める熱い思いが伝わってきました。

皆さん、どうしてでしょうか。私達が感動して受け入れたイエスキリストの福音が、なぜ多くの人に届かないのでしょうか。何が問題なのでしょうか。何がとどめているのでしょうか。

例えば、日本の牧師の教育レベルは世界的に見てそんなに低くはありません。留学経験があり、学位を持つ牧師も大勢います。一方で、充分な学びを願いつつも、それが叶えられずに奉仕している牧師も世界には沢山います。ところが、日本では充分な宣教の成果が表れず、途上国では勢いよく宣教の働きが進んでいます。

日本の教会の考え方が根本的に違うのではないかと思ったりします。西欧の影響を受けた日本の神学校では、既にそこに教会があることを前提にして、よい説教と牧会ができる牧師を育てます。教会も、よい説教ができる牧師を求めます。つまり1%のクリスチャンを喜ばせる説教と牧会ができる人が良い牧師です。

しかし、日本の霊的現実は未墾の原野です。原野を開拓していくような牧師が必要です。そしてまた、そういう牧師を自分達が経済的に支えていこうというクリスチャンが必要です。