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コラム 牧師の書斎から

2015年8月16日 澤村信蔵

8月15日70回目の終戦記念日を迎えました。戦後70年の首相談話も出されましたが、この談話に謝罪の言葉を入れるのか入れないのかそのことが話題になっていました。数日前には、鳩山元首相が韓国で土下座をして、「相手がもうしなくていいというまで何度でも謝り続けることが必要だ」と語りました。結局は、謝罪の言葉は入りましたが、いつまで謝罪したらいいのか、もういい加減いいのではないかという人たちもいます。相手が納得するまで謝罪するのか、何度か謝ってきたからもうどこかで見切りをつけて謝らなくていいのか、この辺りは意見の分かれる所かもしれません。

でも、人間の力でやる限りにおいては、どうやっても限界があります。

70年と言うのは、ちょうどバビロン捕囚の期間と同じです。「まことに、主はこう仰せられる。『バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。─主の御告げ-それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ29章10~14節)ユダ王国の失敗によって、バビロン捕囚の憂き目を体験しましたが、そのバビロン捕囚から回復されたのが70年です。どんな過ちや失敗をしても、神様が、回復をしてくださって、平安、将来、希望を与えてくださるのです。完全数である7を含む70年と言う期間はまさにその象徴的な期間です。神様による回復でなければ本当の回復は達成されません。でも、神による回復であれば元に戻るどころではなく、平安と将来と希望まで与えられるのです。

これは国家間のことだけではありません。人間関係においても同じです。一度壊れてしまった関係を回復するのは非常に難しいことです。でも、神にとって不可能なことはありません。罪人である私たちと神との関係さえ、回復してくださるのが神様なのです。とすれば同じ人間同士の関係回復はそれよりは容易なはずです。神様に委ねて、神様に働いていただくなら完全なら回復が得られるのです。