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コラム 牧師の書斎から

2015年8月30日 澤村信蔵

皆さんは完璧という言葉は好きですか?ある医師が、ミスは絶対に許されないという姿勢で治療にあたりました。でも、入院は不要だと判断した患者が、翌日なくなってしまいました。彼は打ちのめされて、今度こそ完璧にと思いましたが、結局彼が分かったのは、完璧であることは不可能だということでした。

私たちは、~すべきというプレッシャーを感じている人もいるかも知れません。しかし、~すべきだからと言いきかせて、どんなに自分を着飾ってみても、100%純粋な動機で生きることはできません。ヨハネは、「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません」(Iヨハネ1:8)と語ります。自分には罪があると認めることが大切なのです。そして、「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」(Iヨハネ1:7)とも語りました。罪は隠しながら、それを打ち消すかのように自分の努力や何かで乗り越えていくのではありません。完璧でない自分を正直に認め、ありのままの自分を神の光の前にもって行くのです。すると神が、主イエスキリストの十字架の血潮のゆえに私たちをすべての罪からきよめてくださるのです。

前述の医師は、自分のミスを隠すことを諦めました。そして、同じようにミスを隠さないことを同僚に勧め、互いに医療ミスを減らすことを目指していこうという活動をしているそうです。明らかにすることによって、新たなミスを招くことが減っていくのです。

先ほどのIヨハネ1:7には、「光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち」とありました。一人ではどうしても罪を闇に葬ろうという欲が出てきます。でも、互いに罪を正直に告白することによって、神の光が当てられていくのです。私たちは、完璧に歩むことはできません。でも神の光の中をともに歩むことは出来るのです。私たちも自分の失敗を隠すのではなく、神の真実と恵みによって、愛をもって互いに支えあっていきましょう。