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コラム 牧師の書斎から

2015年9月13日 小平牧生

日本に来日した最初の女性宣教師はメアリー・キダーという人です。彼女はフェリス女学院を設立しました。学校のモットーは「For others(他の人のために)」です。キダーさんたちは、学校にとどまらず、遠く高知、長野、盛岡にまでも伝道しました。今の感覚ではピンと来ないのですが、たとえば盛岡にある日本基督教団下ノ橋教会は1887年(明治20年)に彼女たちによって開拓が始まったと教会の歴史に記されていますが、実はまだこの年には鉄道は仙台までしか開通していないのです。こういう歴史を調べると気がつくことがあります。たとえば1875年には二人の女性宣教師によって、私の住んでいる西宮にある神戸女学院が創設されました。ミッションステートメント「愛神愛隣」です。また私の母校である青山学院の設立に関わったメソジスト教会は、婦人海外伝道協会を通して、明治末までに日本に多くの女性宣教師を派遣しました。その数83名と記録されています。青学のスクールモットーは「地の塩、世の光」です。活躍したのは宣教師だけではありません。安井ていは女子高等師範学校の教師でしたが、学生たちにクリスチャンとしてあかしや伝道することを禁じられ、伝道しないか退職するかを迫られました。彼女は伝道しないことを拒否したのでタイに左遷させられます。しかしやがて新渡戸稲造が彼女を呼び戻して設立した学校が東京女子大学です。大学の標語は二つのS「Sacrifice and service」すなわち犠牲と奉仕です。彼女の生き方が反映されています。(以上の内容は、友人の水野健先生のブログを参考にしています)

彼らの関わった学校のモットーはほとんど共通しています。彼らには、学校を有名校にしようとか大きくしようというようなビジョンはありませんでした。結果的に有名校になりましたけれども。彼らは、神の使命に立って人々を愛し社会に仕える者たちを育てようとしたのです。私たちもそういうビジョンを持ちたいと思います。二回の大震災を通して教えられたことは、教会が祝福されるのではなく、教会が街の祝福となることでした。このことを忘れてはならないと思っています。今日は、旭川教会創立40周年記念礼拝の奉仕です。お祈りください。