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コラム 牧師の書斎から

2015年9月27日 小平牧生

先週、西宮チャペルの長老が天に召されました。召される前日の日曜日、ご家族が長老のベッドを囲んで礼拝をささげておられましたが、すでに昏睡状況に入っていこうとしている長老が、礼拝をささげていることがわかったのか、最後の力で「主の祈り」を祈られました。

みなさんもご存知のように、「主の祈り」は、礼拝で会衆が声を合わせて唱和したり、賛美として歌われたりすることが多いです。しかしマタイの福音書によれば、これはむしろひとりだけで祈る祈りとして、イエス様が教えてくださった祈りです。そう考えると、今、地上の生涯を終えようとする時、それはある意味ではこれ以上ないただひとりの瞬間ですが、そのような時にあって「私たちの父よ」と祈ることができた。それはなんとすばらしい人生でしょうか。

ひとりで、毎日、ゆっくり、声を出して「主の祈り」を祈ってみてください。いろんなことが教えられますよ。祈りは自分の姿そのものですが、しかし私たちは祈りのようになっていくのです。英語の「主の祈り」を聴いていた時、「Our Father in heaven, hallowed be your name. your kingdom come, your will be done.」という歌詞にふと気がつきました。それから、ただ単に「御名、御国、御心」ではなく、「あなたの名、あなたの国、あなたのみこころが」と思いを込めて祈るようになって、私の祈りが明確になりました。「あなたの名、あなたの国、あなたのみこころが」と祈り願う。これはすごい人生だと思います。