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コラム 牧師の書斎から

2015年10月25日 澤村信蔵

皆さんは、淵田三津雄という人をご存知でしょうか。彼は、真珠湾攻撃の零戦の攻撃体調でした。日本に帰ってきて彼は英雄となりましたが、終戦後、裁判にかけられます。その裁判を経験しながら、悪いから裁かれているというよりも、一方的に戦争に勝った側が裁いているだけだということに気付きます。そして、戦後の戦犯裁判をとても憎むようになりました。そして、米軍にも悪いところはなかったか、彼らの悪を暴くために聞き取り調査を開始します。そんな中、あるアメリカ人女性マーガレット・コーベルのことを知ります。彼女の両親は、フィリピンで宣教師として働いていましたが、スパイ容疑をかけられ、処刑されました。処刑される30分前、両親は聖書を開き祈ったとのニュースが彼女のもとへもたらされます。そして、きっと両親は、自分を殺害した日本人のために祈れという姿勢であったに違いないと、両親の思いを汲み、ユタ州で囚われていた日本人捕虜のために奉仕をはじめました。これを聞いた淵田さんは、「彼女の姿は美しい。やはり憎しみに終止符を打たないといけない」と捕虜虐待の調査をやめました。そして、聖書を読むようになりました。イエス様が十字架にかかられるとき、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分で分からないのです。」(ルカ22:34)と祈られる場面にきた時、コーベル夫妻が最期に何を祈ったかが分かったのです。そして、イエス様が父なる神に許しを請うたのは、この時のユダヤ人のことだけでなく、自分も含まれている事に気付いたそうです。そして、その後伝道者になりました。イエス様の敵をも愛するこの姿が、マーガレットさんの両親を日本軍のために祈るものし、マーガレットさんを献身的に敵の日本人捕虜のために奉仕する者とさせ、淵田さんを救いへと導いたのです。イエス様の愛が自分に向けられたものだと気付いた時に人は救われます。でも、そうするためには、その愛を行い伝えていく人が必要なのです。マーガレットさんのご両親や、マーガレットさんのように敵を愛する人が必要なのです。イエス様の愛を受けた私たちこそ、「父よ。彼らをお赦し下さい」と祈り、この愛を行う者となるのです。