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コラム 牧師の書斎から

2015年11月22日 小平牧生

 カトリックの司祭であったナウエンという人の書物が次々に翻訳されて、多くのクリスチャンに読まれています。キリスト教書店に行くと彼のコーナーがあるほどです。なぜ彼の著作がそのようにクリスチャンに読まれているのでしょうか。それはクリスチャンの生き方についてあらためて考えさせてくれるからではないかと思います。
 ナウエンの紹介者である大塚野百合氏は、「ナウエンが正直であるからだ」と、その理由を説明します。自分自身も人間的な弱さを持つ者として、ありのままで神様と人々を愛している姿に慰められるのでしょう。日本語の「正直」というの言葉は、嘘をつかないという消極的な言葉として響きますが、英語の「オネスト(honest)」は、誠実さを表す積極的な意味があります。そのような意味で彼は正直なのでしょう。そう考えると「自分は正直かなあ」と考えさせられます。正直ではないと言わざるを得ません。どこかでかっこつけているのです。
 クリスチャン教師でもある大塚氏は、日本においてクリスチャンが増えない理由の一つは、牧師や教師をはじめ、クリスチャンが自分の弱さを隠して立派な自分を見せることを求めているからではないかと言っています。また、「昔のクリスチャンは一本信仰の筋が通っていたとよく言われるけれども、その筋とは実は頑固という筋ではなかったか」と指摘しています。クリスチャンの父親が併せ持つ「強い信仰」と「頑固な性格」によって傷ついている子どもたちもいますが、これは自分と無縁ではありません。教会の会議でもそういうことがあるかもしれませんが、牧師の会議でも、「ああ、この人は意地を張っているな」と思うことがあります。本当に語るべきことを語らずに、どこかで自分を守ろうとする発言があります。福音の恵みがそういうところに届くことが今後の課題ですね。
 傷つかない強さが信仰の姿ではなく、傷つきながらもそのような自分を受け入れつつ神様を見あげていくなら、そこに平安と喜びがあります。福音とはそのような力です。