ここからコンテンツ

コラム 牧師の書斎から

2016年3月27日 澤村信蔵

イースターおめでとうございます。今日は、イエス様が十字架にかかり、3日目に復活してくださったことを記念する日です。私たちにとっては、一年で最も喜ばしい日です。そして、同時に、召天者記念も合わせて持ちます。喜びの日と、悼む日が一緒にあるというのは、奇妙に思うかもしれません。3月11日、卒業する子どもたちの最後の給食に赤飯を炊いたことが、問題だと言われました。多くの人が亡くなった日に、なぜ赤飯を炊くのかということなのでしょう。理不尽だとは思いますが、避けたほうがいいんじゃないかという言葉にもなんとなく納得してしまう感じがあるのです。実際、仏滅の日には、結婚式などの祝い事は避けるという習慣もいまだに残っています。でも、私たちにとって死は、単に忌み嫌うものではありません。前任地で、ご自分の葬儀の時には、赤飯を炊いてくれと遺言を残しておられた方がいました。そして、葬儀で、息子さんがそのことを話しておられました。「母にとって、自分の死は、この世での別れというだけでなく、イエス様をお会いすることが出来る最高の日で、喜ばしいことなのです。赤飯をお渡しすることはできなかったのですが、代わりに甘納豆を用意させていただきました。母を覚えて、赤飯を炊いてくだされば、感謝です」と語っておられました。少し意味が分からないかもしれませんが、道東では、米を焚いて、食紅で色を付け、それから、甘納豆を入れて混ぜるのが赤飯でした。お母さんの遺言を尊重して、赤飯ではないですが、赤飯の材料を参列者に配ったのです。すごいインパクトがありました。そこまでしたのは、死が終わりでない、むしろこの肉体の死が、復活への希望であることを知っていたらからです。

私たちにとっても、死は当然痛みであり、悲しみです。でも、そこで終わるものではありません。十字架、そして、復活を通して死を見ると、死はむしろ希望へとつながっていくのです。イースターは、まさにイエス様が死に勝利され、イエスを信じる私たちも死に勝利し、復活する希望にあふれる日です。この日を共にお祝いしましょう。