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コラム 牧師の書斎から

2016年5月1日 澤村信蔵

先週、9月に持たれる日本伝道会議のコイノニア研修会に参加しました。コイノニアというのは、日本語では交わりとも訳されますが、聖書的な交わりです。今度の伝道会議では、単に何かを聞くというスタイルではなくて、参加しようという事で、4日間10人ほどのグループに分かれてともに話し合うコイノニアの時があります。そのコイノニアについて学ぶものでした。人は神のかたち(イメージ)に似せて造られました。神は、三位一体の神で、ご自身の愛の交わりの実践として、私たちを造られました。だから、私たち一人一人は、交わりを持つために生まれてきた存在なのです。にも関わらず、アダム以来、罪を犯し、神との交わりが破壊されてしまいました。また、「骨からの骨、肉からの肉」が、「この女」に成り下がったように、人との交わりも崩れてしまったのです。しかし、主イエス・キリストの十字架によって、神との和解のみならず、人間関係の回復が既にあたえられているのです。そして、私たちは、神の回復してくださった交わりの中に生かされている存在なのです。セミナーの中で一番心に残ったのは、交わりは、一朝一夕には育たないということです。交わりを深めていくために、努力をしていかなければならない。そして、それは、自分から行っていくということです。当たり前のことなのですが、本当にそうですね。なぜなら、この聖書的交わりこそ、私たちが神の子として生きていく上で大切だからです。イエス様はまさにそうでした。エリコの町をただ通り過ぎてもよかったのですが、ザアカイに声をかけてくださる。「ザアカイ、急いで降りてきなさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」とイエス様の方から、ザアカイのもとへと飛び込んで来てくださるのです。周りから非難や誤解を受けても、少々強引だと思う手法を使ってでも、ザアカイと交わることを選んでくださった主がおられるのです。そして、同じ主が私たちも愛の交わりの中へと導いておられるのです。そして、この交わりの素晴らしさが私たちをさらなる交わりへと、外に向かって押し出していってくれるのです。