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コラム 牧師の書斎から

2016年7月24日 澤村信蔵

 少し前になりますが、ある方から祈りを依頼されました。神様から教えられて、ご家族のことを40日間集中的に祈るように導かれていますから、先生も祈ってくださいそのような要請でした。私も全部の課題を知っているわけではありませんが、その期間共に祈りました。相手が変わるように、そのことを願って始められた祈りでした。
 でも、終わってみて、その方が言われていたことは、祈り続けて、最初に教えられたことは、自分の姿で、自分が相手を裁いていたこと、相手を理解していなかったことなどを教えられて、神様のまえに悔い改め、相手にも謝罪したということでした。それは自分が望んでいた結果ではなかったかもしれません。でも、その方が本気で神様のまえに祈って出られた結果です。相手を変えよう、周りを変えようと私たちはします。神様の助けをいただいてという形といえば聞こえはいいですが、時には、神様を無理やりにでも動かしてでも自分の望むような現状にしたいそのために祈ることもあるのではないでしょうか。でも、本当に私たちが変えることができるのは、周りではありません。周りを変えよう。あの人を変えよう。世界を変えようとどれほど努力しても、変わらないのです。神様が変えたいと願っておられるのも私たち自身です。そして、神の助けがあれば、自分は変えられます。「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か。すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分をかえなさい。」(ローマ12:2)とあります。 そして、自分が変われば、周りも必ず変化をしていきます。最後にニーバ―の詩を記します。「神よ。変えることのできるものを変えるだけの勇気を私たちに与えてください。変えることのできないものを受けいれるだけの冷静さを与えてください。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、判別する知恵を与えてください。」私たちが変えることができる最大のものは、自分自身です。