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コラム 牧師の書斎から

2016年8月21日 澤村信蔵

「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」(コロサイ3章13~14節)
 先日、嬉しい知らせを聞きました。数年来、仲違いしていた人と仲直りが出来たというのです。お互いにいろんなことがあって、その人の名前や顔どころか、その人が所属しているグループの名前を聞くだけで恐れや不安などの拒否反応が起きてしまっていました。でも、このままではいけない。そんなことで恐れないようにしたいということで、神様に祈りつつある中で、謝罪に行くようにとの神様を声を聞き、思い切って謝罪に行きました。謝罪の途中でもいろいろと過去のことが思い出され、ぶつかることもあったのですが、でも、神様に従いたいという思いから、自分がどれほど傷ついたか、そして、自分もいろいろと傷つけてしまったことなどを正直に話し、「本当に悪かったです。ごめんなさい。」と伝えたそうです。すると、今まであった形どおりの謝罪などではなく、相手も涙を流して、そして、「私も、いろんなことであなたを傷つけてしまってごめんなさい。本当に申し訳ありませんでした」と謝罪をしてくれました。そして、そのような和解がなったことを私に伝えてくれたのです。さらに最後に「私たちにが信じているイエス様って本当にすごいなあ。」と語ってくれたのです。彼がそのように和解への導かれていったのも、神様の御言葉に従い、一歩踏み出したからです。もイエス様を私たちにこちら側から一歩前に進むことを期待しておられます。「だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても・・」自分と相手、どちらが悪いかと、悪い方探しをしても、結局お互いの溝は深まるばかりです。そうではなくて、神様に近い側から、赦しを、そして、謝罪を始めていくのです。そうすれば、本当の和解が起こるのです。