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コラム 牧師の書斎から

2017年4月23日 澤村信蔵

先日、ある方と天地創造について話しました。その方は、カトリックの施設に勤められていた時に、少しだけ神父さんの話を聞いてことはありましたが、キリスト教にはほとんど関わったことがない方でした。
特に今回は、私たちが創られた意味についてお話することができました。私たちが神によって創られたのか、それとも偶然この地上に誕生したのか・・このことは、私たちの人生の意義ということを覚える時に、非常に需要な問題です。もし、私たちが偶然によってこの世界に誕生したのであれば、「私は何のために生きているのか」といくら問いかけても、答えはでません。だって、そもそも偶然に出来たものに意味や目的を見出すことは不可能だからです。でも、神に創られたのであれば、全く意味は違います。私たちが創られたものであるならば、創られたものには必ず創る意味があります。私たち人間は、「さあ、人を造ろう。われわれのかたちに、われわれに似せて。」(創世記1章26節)神によって創造されたのです。「さあ、人を造ろう」と神の積極的な意志、神が望んで私たちはこの地上に誕生しました。そして、「われわれのかたちに、われわれに似せて」とあるように、父なる神、子なる神、聖霊なる神、三位一体の愛の交わりこそ、ここでいうわれわれのかたち言われる者です。私たちは、神に愛され、神を愛し、また互いに愛するために創られました。愛の交わりこそ、私たちが神から与えられた素晴らしい神のかたちです。ちょうど、その方は前日奥様と娘の誕生日であったにも関わらず、けんかをされていたようです。でも、このメッセージを聞いて、自分が何のために創られたのか。妻を、子供を愛するために自分があることに目が開かれました。そして、神に愛される存在であることを意識されるようになりました。
それは、私たちの周りにいる自分も含めたすべての人がそうなのです。このすばらしい愛の交わりに気付きが与えられ、神が創られた目的であるこの愛に生きる者とさせていただきましょう。