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コラム 牧師の書斎から

2017年5月28日 澤村信蔵

神様は、アダムとエバを、われわれのかたちに、われわれに似るようにと、神のかたちに、神とともに生きる存在として創られました。でも、人は食べてはならないという神様の戒めを破り、善悪の知識の木を食べてしまいました。神様から離れて、自分が神のようになって、自分の思いを善悪の基準として生きていこうとしたのです。でも、その時から、神との関係だけでなく、人との関係もうまくいかないものになってしまいました。神とともに生き、人とともに生きる交わりの生き方から、それまでに体験した事のない孤独を経験するようになります。これは、私たちも同じですね。
一旦罪が入ると、交わりは壊れます。神様から罪を指摘された時、「あなたが私のそばに置いたこの女が・・・」と、なってしまうのです。少し前には、「肉からの肉、骨からの骨」自分の分身というか、自分自身と変わらない存在としていた妻を、神様があなたが置かれたこの女のせいなのですと責めるのです。そして、そもそもその女を作った神様あなたが悪いのだと神様をも責めるのです。そして、妻は妻で、自分を誘惑した蛇に責任を押し付けます。互いに補い合うのではなく、互いにさばきあい、味方になってくれる人はいません。アダムとエバは、罪の中で、自分だけを弁護し、共に歩く人を失ってしまい、孤独の中に突き落とされてしまうのです。
でも、そんな彼らに神様は語られます。「あなたは、どこにいるのか。」と。彼らの状況は百も承知の上、彼らを捜してくださるのです。私たちは神様から離れて生きて行こうとしていたのに、神様が私たちを孤独になってしまった私たちを捜し、共に生きるようにと招いてくださるのです。そして、もう一度、神との関係の回復、そして人々との関係の回復をするようにと招いておられるのです。神に背を向けている者に対しても、捜し出して共に生きようと言ってくださるお方がいるのです。神は、今日も、「あなたはどこにいるのか。」あなたのいるべき場所は、わたしのもとだ、ともに生きようと語っておられるのです。