ここからコンテンツ

コラム 牧師の書斎から

2017年9月17日 澤村信蔵

今日は、敬老祝福礼拝です。敬老の日自体は、9月の第三月曜日ですが、読んで字のごとく、老人を敬う日です。最近は老人と呼ばれるのを嫌う方も少なくないようですが、言わば年長者を敬う日ということですね。どう呼ぶかは別として、ともかく「いたわる」とか、まして「はれものにさわるように扱う」のではなく、「敬う日」です。ところで「キリスト教はご先祖様を大事にしない」などと言われることがありますが、ご先祖様を大切にするのは日本人の特許というわけではありません。ただ一つご先祖様を拝まないということが違うだけなのです。拝むのは創造者である神に対してだけで、それとご先祖様を大事にしないということは全くないのです。故人を偲ぶという思いはクリスチャンだって強いのです。その証拠に、聖書には多くの人の系図も掲載されています。神様もしばしば「私はあなたの先祖の神である」と名乗っています。ご先祖様を愛し、守り導いてくださった神が、私のことも同様に扱ってくださるということです。キリスト教はご先祖様を大事にしないどころか、ちゃんと「ご先祖様あっての私」と感謝しているのです。 すでに他界したご先祖様にさえそれほどの思いを持つのですから、先祖のうちでももっと自分に近い方々にはなおさら、愛情と尊敬を持つのが自然でしょう。そして、年長者はただ年長者であるというだけで尊敬されるべきだと聖書は教えています。例えば、白髪は冠、勲章とまで称賛されます。『しらがは永遠の冠、それは正義の道に見いだされる。』(箴言16:31)『若い人の栄えはその力、老人の美しさはそのしらがである。』(箴言20章29節)それだけでなく、神自身が「神に対する畏敬と同様に、老人に対する畏敬を持たなければならない」と命令までしているのです。『あなたは白髪の人の前では、起立しなければならない。また老人を敬い、あなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。』(レビ記19章32節)今日だけでなく、いつも年長者を敬うものでありましょう。