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コラム 牧師の書斎から

2017年12月31日 澤村信蔵

「『私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。主こそ、私の受ける分です」と』(哀歌3章22~23節)
2017年は、ある意味では特別な年でした。礼拝と言う意味で、日程が特別でした。一年の初めの1月1日に主日礼拝をささげ、最期の日12月31日、ともに今日こうして主日礼拝をささげることができるからです。礼拝に始まり、礼拝で終わる。そんな一年です。そして、明日は、またこの所で元旦礼拝がささげられていきます。
先日ある教会で今日の礼拝を休み、元旦礼拝だけをするということを聞いてちょっとびっくりしてしまいました。元旦礼拝は、日本だけとは言いませんが、一般的ではないと思います。初詣に行くという習慣があることもあって、お宮さんに行くのではなく、主を礼拝する所から始めようという意味が強いものだと思います。それに対して、主日礼拝は、主がよみがえられた日、そして、その後弟子たちに現れた日、聖霊が注がれた日が日曜日であったということから始まったものです。特に主の復活を覚えて、主を礼拝するために集まっています。
私の中では、元旦礼拝が無くても、主日礼拝を休むという事はありえないという感覚があったのです。でも、良く考えてみると、聖書に書かれていることは、集まることをやめないでともに主を礼拝するということです。何よりもまず神様を覚えるために、週の最初に集まり、年の初めに集まることはどちらも大切です。どの日の礼拝も大切なのです。そして、それは日曜日や元旦だけではありません。一日のスタートもまず神様とともに始めていくことが大切なのです。明日からまた新たな一年が始まります。朝毎に神の前に出て祈り御言葉を読むところからスタートして行きましょう。