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コラム 牧師の書斎から

2018年7月29日 澤村信蔵

「神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。『あなたはどこにいるのか』」(創世記3章9節)最初の人アダムは、神様から禁じられた善悪の知識の実を食べてしまい、罪を犯します。そして、自分自身の醜さや、汚れ、また神のようになりたいという欲望に直面して、神様の目から自分自身を隠します。ところが、神様は、アダムを探されます。園を歩き回ってという表現もありますから、まさに、探し回られたのです。そして言われます。「あなたはどこにいるのか」 人間と言うのは、他の対象との関係においてのみ、自分の存在を意識し、確認することが出来ます。人は、神様とともに生き、ともに歩むものとして創造されました。だから、神様との関係において、自分の存在の意義や確かさを確認することが出来るのです。神様の目を逃れていた時には、自分がどこにいるのかわからなかったのです。でも、神様からの「あなたはどこにいるのか」という問いかけを受けて、初めて自分の位置が分かったのです。私たちもアダムと同じで、自分がどこにいるのかわかりません。自分が何者であるのか、自分はどこに向かっているのか。自分の人生の意味はどこにあるのか。自分自身を見失ってしまっていることがあるのです。そういう私たちに神は今日も語り掛けられます。「あなたはどこにいるのか」と。自分で自分がわからなくても、神様は今日も探してくださっているのです。どんなに汚れても、どんな失敗をしても、隠れてしまいたいほどであっても、神はあなたを必要として、愛して求めておられるのです。「あなたはどこにいるのか」神の語りかけを聞きましょう。そして、神の前にいる自分、いや神によって、神の前にいるようにと引き出された自分がいることに気づかせていただきましょう。私たちがどういう状態であっても今日も神が私たちを御前に招いておられるのです。