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コラム 牧師の書斎から

2018年12月30日 澤村信蔵

年末は、夜警団というのでしょうか、夜拍子木を鳴らしながら、「火の用心、マッチ一本火事のもと」と注意喚起を呼びかける習慣があります。特に、火事は、一つの家で起きただけであっても、地域が巻き込まれることもあるので、注意をすることは大切です。でも、最近は、その声がうるさいと文句を言う人たちが増えてきています。このことだけでなく自分の利益に直接かかわること以外には、全く関心がないどころか、むしろ嫌悪感を抱くのです。私たちが福音を携えて出て行く世界は、まさにそういう世界です。私のことはほっておいてくれと言われることもざらです。でも、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。」(ヨハネ3章16節)のです。神様は、私たちを放置し、滅んでいくことを見過ごすことが出来なかったのです。神に興味のない人からしたら、余計なおせっかいと思われるかもしれません。でも、神は私たちを愛しているから、ひとり子をこの地上に送り、私たちの身代わりにせざるを得なかったのです。その愛が注がれたのは、私たちがまだ主イエスを知らず、神に敵対し、神を拒絶していた時です。そして、私たちはこの神の愛を受けたことにただ目が開かれただけの一人一人なのです。神の愛は、すべての人に注がれています。でも、その愛に気づいていない多くの人がいます。神の愛があなたに注がれているよと伝えても、喜ばれるどころか、怒りをもって反応する方もいます。それでも私たちは、「主イエスの故にあなたは神に愛されている」と人々に伝え続けるのです。