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コラム 牧師の書斎から

2019年10月13日 澤村信蔵

台風19号が日本列島を襲いました。金曜夜には、避難所が開設されたところもあります。小田原教会のメンバーの中には午前中から学校に避難をされている方々もいました。交通機関も止まり、スーパーやコンビニエンスストアも休業しているところもありました。嵐の中で出来ることは、ただ祈ることでした。主イエスの時代にも、嵐がありました。激しい突風が吹き、舟は波をかぶって水でいっぱいになりました。ガリラヤ湖の漁師であったペテロやヨハネたちもおぼれて死ぬかもというくらいですから、何年に一度というような嵐であったのかもしれません。でも、主イエスは、そのような中で、枕をして眠っておられました。弟子たちに促されて、起きて、嵐を静めた後、こう言われます。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」(マルコ4章40節)どんな嵐があってもこわがらなくてもよいと言われるのです。それは、主イエスがともにおられるからです。実際、イエス様にとって嵐は恐れる必要がなかったからこそ、寝ておられたのです。今日の私たちにも主は語っておられます。確かに、昨日みたいな台風が来ると私たちは恐れます。天候だけでなく、様々な人生の嵐に私たちは恐れを抱きます。そして、外の嵐以上に、私たちの心に嵐が吹き荒れます。どうしたらいいのかと心配しても仕方のない事で右往左往します。確かに私たちは主のように外の嵐を静めることは出来ません。本当に無力です。でも、心まで嵐になる必要はないのです。なぜなら嵐を静めることが出来るお方がともにいるからです。