ここからコンテンツ

コラム 牧師の書斎から

2019年10月27日 澤村信蔵

先週、千葉や福島など既に台風15号、19号で被害を受けた地域を含めた多くのところで被害が起こりました。被害にあわれた方のことを覚えると心が痛みます。次から次へと来る水の被害に、もう水は勘弁というのが正直な思いです。でも、同時に、大雨によって、断水してしまうというのは不思議な感じがします。19号で断水の被害を受けた四倉教会も先週水が戻ったとの連絡がありました。まだ教会員の中には、断水地域があるとのことで祈りが必要です。東京でもタワーマンション等で今も断水しているところもあります。でも、水はどうしても必要なのです。
 ヨハネ4章に出てくる一人のサマリヤ人の女は、5回離婚を経験し、また、今も同棲しているどういう中で周りから白い目で見られていました。しかし、水は必要なので、誰も行かない真昼間井戸に水を汲みに行きます。そこで主イエスと出会います。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。」と言われたように、水は毎日渇き必要となります。「しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも決して渇くことがありません。」(ヨハネ4:14)と主は言われます。それは、「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出る」(14)からです。イエス様が与えるいのちの水は、内側からこんこんと溢れ続けるのです。それは何をもってしても奪うことが出来ない恵み、喜びなのです。「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。」(ローマ8:35)何を引き離すことが出来ない、何をもってしても奪うことが出来ない恵みと喜び、感謝と愛に包まれて、今日もこの主を礼拝しましょう。