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コラム 牧師の書斎から

2019年11月10日 澤村信蔵

先週は、九州教区の聖会に行ってきました。その中で、ある方が証しをされていました。その方は、若い時に、皆と一緒にプールに行って飛び込みをした時に、首の骨を折ってしまったのです。当初は、さまざまなものを恨み、飛び込んでしまったことをどれほど後悔したかわかりません。でも、そのあと、職場の先輩が、福音を伝えました。そして、自暴自棄になっていた彼に、もし主イエスを信じるなら、希望があるよ。きっと将来結婚もできるよとある意味では無責任とも思うような言葉を言われたそうです。その後、その先輩の知り合いの牧師が、月に一度訪問する中で、自分自身の救い主として主イエスをお迎えしました。当然、肉体の状況は全く変わるはずもありません。それ以来ずっと車いすの生活です。でも、不思議なことにその後、看護師をしておられる方と結婚する道が開かれました。いわゆる一般的な夫婦のスタイルとは違い、週の間は、彼は施設で、彼女は病院で勤務して、週末一緒に過ごし、ともに礼拝生活をし、日曜の夜に施設に送る。そういう生活です。最後に彼はこう言っていました。あの飛び込んだことも、今思えば、神様の計画の中にあったことで、私にとっては、最悪の出来事ではなく、良きことだったと。あのことがあったからこそ、主イエスに出会うことが出来、また結婚することも出来た。だから、あのことを感謝しているのですと。そして、なんと最初に紹介した先輩がちょうど聖会で司会をしている牧師でした。不思議な神様のわざを覚えます。何があっても主は最善にしてくださいます。私たちの人生を今日も最善へと導いてくださる主をほめたたえましょう。