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コラム 牧師の書斎から

2020年1月5日 澤村信蔵

「祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むように・・」(テトス2章13節)
 NHK紅白歌合戦で、話題となった出来事がありました。それは、AI(人工知能)で、美空ひばりの歌を作り出したということです。過去の映像ではなく、ディープラーニング(深層学習)の手法を使って、過去の音源や音声ファイルなどから、歌声、歌い方の特徴を再現したのです。さらに、人物の動きをモーションキャプチャーしCGを重ね姿も再現し、ステージ上に映し出すことで、あたかも美空ひばりが紅白のステージに復活したような演出がなされていました。ここまで進歩してきているのかと驚きを覚えました。それと同時に、こう言った手法がとられていくと、何をもって「本人」とするのだろうかと考えさせられます。さらに技術が進歩していけば本人と間違うほどの精巧なものになり得ます。今後、有名人でなくても、亡くなった故人の映像や音源から、故人を再現し、亡くなった後でも、喪失感を感じなく過ごせる時代がやって来るかもしれません。でも、どこまで技術が進んでいっても、本人と違うことは、一番身近にいた人が感じてしまうのではないでしょうか。そして、本人を生き返らせることは出来ないことをより深く感じてしまうのです。でも、私たちには、確かな希望があります。それは、いつの日か主の再臨の日に、本人と再会できるという祝福された望みです。その時こそ、私たちが本当に願っていることがかなうのです