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コラム 牧師の書斎から

2020年1月19日 澤村信蔵

「あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい。」エペソ人への手紙 4章1節
1月17日阪神淡路大震災から25年を迎えたました。震災を体験したものとして、忘れられない日です。あの日、私は突き上げるような揺れの中、ガラスが割れる音を聞きながら、布団にくるまって時を過ごしました。父と母は、階下で寝ていたのですが、ちょうど二人の頭の間に、洋服ダンスの上に置いてあった10キロは優に超える陶器の置物が落ちました。どちらかにずれていたら命はありませんでした。叔母の家は、全壊し、ちょうど寝室にあった二つのタンスが、互いに支え合って、その下で叔母といとこは守られました。同じく別のいとこは、たまたまその日東京へ出張していて助かりました。普段寝ていた場所は崩れた建物の下敷きになっていました。その時感じたのは、自分たちは助かったという喜びではなく、神によって私たちは生かされているのだということでした。多くの死者が出てしまった中で自分たちがなぜ生かされたのかわかりません。でも、神によって生かされていることを実感しました。それは震災を経験しなくても同じです。私たちは今日も神によって生かされているのです。そして、生かされるからには、使命があるのです。その使命がいつ終わるかそれはまさに神のみぞ知るです。人によって長いことも短いこともあります。震災を乗り越えた叔母も、震災の影響もあり体調を崩し数年後天に帰りました。でも、使命を全うしました。間違いなく言えることは、私たちは、今日も神によって使命があるからこそ生かされているのです。生かされている間、最後の一息まで、その召しに相応しく歩みましょう。