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コラム 牧師の書斎から

2020年1月26日 澤村信蔵

昨日は、月に一度の聖書を学ぶ会で、コリント人への手紙第二を学びました。パウロは、コリントの教会には、3度訪問し、また4通は手紙を出したと言われています。そして、その最後の手紙である第二の手紙は、パウロの個人的な弁明が多く書かれています。交わりの深かった教会だからこその悩みかもしれませんが、弁明するために、少し突っ込んで自分のことを明らかにしています。ほかの書ではあまり書かれていないパウロの苦難の姿も具体的に包み隠さず書かれています(11章)。また、パウロが第三の天に上り(おそらく、死んだか、仮死状態で)神と交わった姿も書かれています(12章)。また、肉的のとげについても記されています(12章)。だから、パウロの人間性が一番よくわかる書だと言われています。そういうパウロの実情を知る手紙が残されていることは、本当に感謝です。パウロの生涯を知ると語る言葉の一つ一つの重みが違います。例えば「いつも主にあって喜びなさい。」(ピリピ4:4)の指す「いつも」がどんな時なのか、まさにパウロが受けていた様々な苦難、時には死にそうになるような苦難の連続があることも含むいつもであることを知ると、意味が違います。そういう中にあっても、「いつも」喜ぶのです。私たちがこの状況があるから喜べないと言っている状況は、パウロの味わった状況から比べると、はるかにましだと感じます。そして、その中にあっても喜べるからこそ、彼は語っているのです。この一週間、皆さんがパウロの語る意味で、「いつも」喜ぶことが出来ますように。