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コラム 牧師の書斎から

2020年2月9日 澤村信蔵

先週の月曜日、長年名古屋教会で奉仕をされ、教団の理事長、聖書学院長などの教団の働きだけでなく、超教派の集会でも用いられていた毛戸健二先生の葬儀が持たれました。毛戸先生は、5歳の時に母親が髄膜炎のために亡くなりました。そして、高校時代、友人であった牧師子弟の寺地君に声をかけてもらい、牧師家庭に招かれました。後で聞いたら、その時声をかけてくれた理由は、とても寂しそうだったからだったそうです。暖かい食事の交わりをいただいて、また、神様の愛、イエス・キリストの救いを初めて聞きました。そして、その友人の母親が、温かな焼き芋を持たせてくれて、別れ際、ぎゅっと抱きしめてくれたそうです。その時初めて、人の愛の暖かさに触れたそうです。そして、その愛の源である神の愛を自分も追い求めて、主イエスによって救われ、それから牧師になりました。そして、多くの教会の方々を、また、若い伝道者や伝道者の卵を愛して人生を全うされました。思い出の中でも語っておられた方がいましたが、毛戸先生がいたから、牧師になることが出来た人や、兄弟団にとどまることが出来た人がどれほどいたかわかりません。失敗をしたものをも愛をもって覆ってくださるそんな先生でした。それは、先生が高校生の時に体験した愛を、多くの人に伝えていきたいただその一心だけだったのではないかと思わされます。一人の人が変えられるとき、多くの人が神の愛を受けることが出来るのです。そして、私たちも、すでに神の愛を受けたお互いです。だから、私たちも誰かにとってのその最初の一人になることが出来るのです。先生を偲びつつ、私も愛を追い求めていきたいともう一度思わされました。