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コラム 牧師の書斎から

2020年6月28日 澤村信蔵

「その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。」エペソ1章9~10節
 昨日、「聖書を学ぶ会」を久しぶりに行いました。今回は、エペソ人への手紙でした。神の永遠の計画や、教会のすばらしさが描かれているのですが、その中で強調されているのは、キリストにあって、一つとなることです。それは具体的な人間関係においても同じです。私たちは、人間関係においても、違いに目を留めます。そして、違いを解消するには、同じになることを求めます。奴隷制度の廃止や、男女同権など、様々な働きがキリスト教信仰から生み出されてきました。でも、今回教えらえたことは、その違いを乗り越える方法は、制度を変えることだけではないということです。パウロは、奴隷と主人があることを認めていました。でも、奴隷には、強いられてではなく、喜んで神に仕えるように主人に仕えるように励ました。主人には、奴隷を自分と同じように扱うように教えます。もし、このことが実現されていけば、奴隷制度は残ったままであっても、もはや奴隷と主人と言う隷属的また支配的な関係ではなく、愛をもって仕え合う関係性へと導かれるのです。それは、他の人間関係でも同じです。違いを解消する努力も必要です。でも、それ以上に違いがあっても、相手を愛し受け入れていくことが出来れば、キリストにあって、一つとなっていけるのです。そのことこそが神のご計画をこの地上で実現していくことでもあるのです。