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コラム 牧師の書斎から

2020年8月16日 澤村信蔵

「ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行っているからです」(ローマ2章1~2節)
 お盆を迎えましたが、例年とは違います。特に移動には皆が気を遣っています。青森市で東京から帰省した人の家に「こんな時期に帰ってくるとは何を考えているのだ。さっさと帰るように」と中傷するビラが貼られていました。この男性は、PCR検査もおこなって陰性も確認するなら万全の準備をしていたのですが、非難されてしまいました。さすがにやりすぎだと皆が思ったと思います。大なり小なり同じような出来事はあったと思います。裁いている人は良いことをしているつもりです。でも、やはり問題は大ありです。それは、自分の価値基準を人に押し付けているからです。しかも、その価値基準は絶対的に正しいわけではありません。それなのに、完全でない自分の価値基準で人を裁いているからです。それが行き過ぎると皆も気づき、間違いだとわかるのですが、私たちも同じように、裁いていることがあります。自分が正しいと主張しているわけではないのですが、自分と違う価値観を持っている人を裁いてしまうのです。でも、私たちを裁くことが出来るお方は神様だけです。神様は、いつも愛を基準として私たちを見てくださっているのです。私たちは、自分の基準でさばくのではなく、神様の愛の基準で罪をも覆うものとさせていただきましょう。