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コラム 牧師の書斎から

2020年9月13日 澤村信蔵

「キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。」(1ペテロ3章18節)
 共通する危機に接すると、人々は苦しみを共有し、団結しようとしています。それは力になるのですが、同時に、危険なこともあります。それは、同調圧力を産み、危機を作り出した人たちを非難し、攻撃し、時には、暴力や憎悪を引き起こすからです。行き過ぎると、誰かを犯人に仕立て上げて、責任転嫁をすることも行われてきました。かつて、ペストが大流行した時、スケープゴートにされたのがユダヤ人でした。ユダヤ人だけが被害が少なかったので、「ユダヤ人が井戸や泉に毒を入れた」と言われて、迫害と大虐殺が行われました。ユダヤ人は、この時だけでなくいつもスケープゴートにされてきました。神の計画を邪魔するサタンの策略なのでしょう。今回、コロナ禍のことでもユダヤ人陰謀論が出始めているようです。神の民のために祈りましょう。でも、ユダヤ人だけでなく、社会の中でスケープゴートにされてしまう人はいつもいます。社会における少数者であり、弱者です。私たちも、いわれなき非難を受けることがあるかもしれません。でも、そんな時、私たちが忘れてはならないことがあります。それは、私たちには、私たちのために身代わりとなってくださったお方、完全なるスケープゴートなるお方がいるということです。イエス様は、正しいお方なのに正しくない私たちのために身代わりになって、非難のすべても、罪の罰のすべても受けてくださったのです。そのことを知ると、いわれなき非難をも乗り越えることが出来るのです。