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コラム 牧師の書斎から

2020年11月15日 澤村信蔵

「互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。」(エペソ4:32)
 ある心理学者が、「赦しとは、自分に害を与えた相手が赦しに値するかどうかにかかわらず、その相手への恨みや復讐心を意識的・意図的に手放す決断である」と言いました。まさに、その通りですね。赦しは決断です。私たちは、赦す理由がないから赦したいけど赦せないと思います。相手が謝ってきたら、少しは反省してくれたら、もう少しこうであったら赦せるんだけど、そうじゃないから赦せないと思います。だから、仕方ないと思います。でも、赦しに相手の状況は関係ないのです。今日のメッセージにも出てくるヨセフは、兄弟に奴隷に売られました。そして、そのことが原因で無実の罪で牢屋にまで入れられました。それでも、ヨセフが兄弟を赦すことが出来たのは、赦すと先に決めたからです。兄弟に恨みをはらすことは簡単にできました。でも、赦したのです。また、神様が私たちを赦してくださるのは、神様が赦すと決めてくださったからです。私たちが良い人になったからではありません。
 赦せないと握りしめていることはないでしょうか。でも、赦せないと苦しむのは、相手ではありません。私たち自身です。赦さないからこそ過去にずっと縛られてしまっているのです。イエス様はそこから解放し、私たちにもっと自由な生き生きとした生活をするために、相手には関係なく、恨みや復讐心を手放すようにと招いておられるのです。相手を赦すことは、あなたのためになるのです。