ここからコンテンツ

コラム 牧師の書斎から

2021年4月18日 澤村信蔵

 すると見よ、一人の人がイエスに近づいて来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをすればよいのでしょうか。」マタイ福音書19章16節

 マタイ19章16~26節には、ある金持ちの青年とイエス様の会話が残っています。皆さんもこの青年と同じ質問をしたくなりませんか?永遠のいのちを得るためには、何をすればいいのか。また、誰が天の御国に入る資格があるのか。興味のあるところです。でも、青年が大きく勘違いしていたことがあります。それは、良い行いでは、永遠のいのちには届かないということです。彼は律法を守ってきました。「私はそれらすべてを守ってきました。何がまだ欠けているのでしょうか。」(20節)やってるつもり、正しいつもりだけど、不十分なことは自分自身がよく分かっていました。最後に、自分の持っている財産を貧しい人たちに与えなさいとの言葉に意気消沈して去っていきました。財産を全部なくすことは身を切るよりつらい事だったのでしょう。弱点だったのです。私たちにもそれぞれいろんな弱さがあります。皆行いでは完全にはなれません。では、どうしたらいいのか。イエス様は最後にこう言われました。「それは人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます。」26節 永遠のいのちは自分の良い行いで得るのではなく、私たちを救ってくださる神様にすがることによって与えられるのです。私たちは良い行いではなく、信仰によって、永遠のいのちを持つ者とされていることを心から感謝しましょう。