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コラム 牧師の書斎から

2021年10月03日 澤村信蔵

 イエスは彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」(マルコ2章17節)

 イエス様は、罪人を招くためにきたという意味を先日新たに教えられました。イエス様の言葉の通り、罪人を愛し、そのような方々とともにいたいと願わされます。実際、私も、留置所に行ったり、少年院に行ったことがあります。でも、そういうことを話す時つい、言い訳をしている自分がいることに気づいたのです。私が行ったのは、問安のためですよって・・いつもそういった言葉を付け加えている自分。それは暗に自分は悪いことをしていったわけじゃないんですよという思いが私のうちにあることに気づかされたのです。彼らとは違うんですよって、口には出さなくても心の中で大声で言っている自分がいたのです。でも、それはイエス様の姿とはかけ離れています。イエス様は、「あなたは罪人と一緒にいる。あなたは罪人の仲間だ」と言われ時、「そうだよ。わたしはこの人たちとともにいるために、この人たちの仲間になるために来たんだよ。むしろこの人たちこそわたしが愛すべき人であり、救う人たちなのだ」と言われるのです。そして、その言葉通りにいつもイエス様のそばには罪人で溢れていました。最後には、彼らのため、また、罪人である私たちのために、十字架にまでかかってくださいました。これがイエス様の愛の姿です。そして、今そのバトンは私たちにイエス様から手渡されています。イエス様の代わりに、罪人を愛し、ともにいるために私たちがいるのです。