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コラム 牧師の書斎から

2021年10月10日 澤村信蔵

 「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷になりました。」Ⅰコリント9章23節

自由と権利、この二つは私たちが大事にしているものですね。誰かに自由を侵害されるというのは許しがたいことですね。また権利があるのにも関わらず、その権利の通りには与えられないとすれば、不平不満が溢れます。でも、パウロはキリスト者にはそれよりもはるかに勝る自由があることを私たちに教えます。パウロ自身も当然様々な自由を持っていました。でも、弱い兄弟姉妹のために、それを放棄しました。自分の与えられた自由をも放棄する自由です。また、伝道者として、信徒に養ってもらう権利も彼らを愛するがゆえに放棄しました。確かに、自由と権利を奪われることほど屈辱的なことはありません。でも、真に強い人は、自分の持っている自由と権利でさえ愛の故に喜んで放棄出来るのです。この姿は、まさにイエス様の姿です。イエス様は神であったのに、すべてを捨ててくださったのです。私たちが愛するがゆえにそこまでしてくださったのです。そこまでしてくださったのは、まさに一人でも多くの人を獲得するためです。そのためだったらなんでもするのです。「私は福音のためにあらゆることをしています。私も福音の恵みをともに受ける者となるためです。」(23節)私たちも自分に与えられた自由や権利があります。でも、時には、愛の故に、それらをも自分のために用いることをしないで、福音のために用いてくいくのです。