ここからコンテンツ

コラム 牧師の書斎から

2022年3月13日 澤村信蔵

さて、過越の祭りの前のこと、イエスは、この世を去って父のみもとに行く、ご自分の時が来たことを知っておられた。そして、世にいるご自分の者たちを愛してきたイエスは、彼らを最後まで愛された。(ヨハネ13章1節)

 イエス様が十字架の死を前にしてなされたこと、それは、弟子たちを愛するということでした。極みまで愛されました。それは愛こそが大切だからです。イエス様は夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰につけられました。たらいに水を入れて、弟子たちの足を洗い、手ぬぐいでふき始められたのです。足を洗う仕事は、当時召使の仕事です。サンダル履きのようなものですから、一番汚れるのは足です。中には、本当に汚く、時には匂いがしたものもあったかも知れません。もっと驚くのは、その中にイスカリオテ・ユダもいたということです。これから裏切ることをイエス様はご存知でした。それでも足を洗うのです。そして、「主であり、師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのであれば、あなたがたもまた、互いに足を洗い合わなければなりません。」(14節)と言われるのです。これがイエス様が私たちに示された人を愛する模範です。相手の状況や、相手の思いを超えて、自分から仕えていくのです。最後の最後まで愛し、仕えていく姿です。弟子たちはこの愛を体験したからこそ、このチャレンジを受けたのです。私たちも同じです。イエス様の愛を体験したなら、この愛で生きることを求められているのです。今日も互いに愛し、仕え合っていきましょう。