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コラム 牧師の書斎から

2022年5月8日 澤村信蔵

この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ5章5節)

 日本ではまだまだマスクを手放すことが出来ませんが、世界各国では、ノーマスクが当たり前になってきました。ようやく少し希望が見えてきた感じがします。でも、私たちは何かいい兆しがあるから希望を持つのでしょうか?周りの環境から来る希望は、一瞬にして絶望に変わってしまいます。それこそ、また感染大爆発になれば、元の木阿弥のようになって、下を向いてあゆまなければならないのでしょうか?実は、そうではありません。そもそも、私たちが神様から与えられている希望は、状況によって変わるものではないからです。小坂忠先生がご自身の教会で最後の礼拝メッセージをされた中で、こんなことを話されていたそうです。今年に入って、病状が悪化し、痛み止めが切れた時には、もうどうすることも出来ない痛みに襲われた。そういう中で、先生は、自分の状況に絶望して涙をしたのではなく、その痛みの中で、イエス様の十字架を覚えた。イエス様がどれほど私のために苦しんで下さったのか。そして、彼らを赦したまえととりなし祈り私の罪の代わりに死んでくださった。そのことを覚えて、感謝の涙があふれてきたのです。神様の恵み、愛がいかに自分に注がれているのかそのことに目を注ぐ時、どんな中にあっても希望を見いだすことが出来るのです。私たちはどんな状況の中にあっても希望を持つことが出来ます。なぜなら私たちにも、神の愛が豊かに注がれているからです。今日もこの神様の愛に目を向けていきましょう。