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コラム 牧師の書斎から

2022年7月24日 澤村信蔵

 「耳を背けておしえを聞かない者は、その祈りさえ忌み嫌われる。」(箴言28:6)

 祈祷会で箴言を読んでいますが、このみ言葉は結構ショックな言葉でした。私たちが祈りをさげても、神様が聞かれないどころか、忌み嫌われるということが起こるというのです。罪人がささげる祈りを聞かれないということではありません。そうであれば、誰も祈りを聞いてもらえる人なんていません。どんな罪人でも、神様の前に出てる人の祈りは神は聞いてくださいます。ここで問題となっているのは、祈りはするけれども、神様の声は全く聴きたくない人のことです。その例としてはイスラエルの最初の王、サウルがいます。彼は、神様の声を何度も聞きませんでした。サムエルは待つようにと言われましたが、待てなくて自分でいけにえをささげました。アマネクと戦ったときもすべて聖別するようにとの声にも従わず、価値のある羊や牛だけは残したのです。サウルは神様の言うことではなく、自分のしたいことだけをしたのです。だから神様が祈りの答えを与えてくれても、それに従おうとしなかったのです。答えても意味がないからでしょう、最後には神様は彼の祈りに答えることが無くなり、仕方なしに霊媒師に頼るという愚かなことまでするはめになったのです。彼が求めていたのは、神様の答えではなく、自分の思い通りの答えでした。私たちの祈りはどうですか?神様の答えが与えられたらそれに全部従いますという思いで出ているでしょうか?そうでないといつかサウルの二の舞になるかもしれないのです。