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コラム 牧師の書斎から

2022年7月31日 澤村信蔵

 もしも主が私たちの味方でなかったなら 人々が敵対してきたとき そのとき彼らは私たちを生きたまま 丸吞みにしていたであろう。彼らの怒りが私たちに向かって燃え上がったとき そのとき大水は私たちを押し流し 濁流は私たちを越えて行ったであろう。(詩篇124篇2~4節)

 人生の中でどうしようもないと思う状況がやってくることがあります。自分の力や弱さを覚えるとただただ頭を抱えてうずくまるしかありません。でも、どんな状況の中にあっても、物事を逆転させて勝利を与える鍵があります。それが、1節、また2節にある言葉です。「もしも主が私たちの味方でなかったら」です。私たちには神様が私たちの味方であるという約束があります。パウロが、「では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」(ローマ8章31節)と語っているとおり、神様が味方であるとしたら、誰が私たちに敵対できるのでしょうか?どんな人も、どんな状況も神様に太刀打ちできるはずがないのです。自分を見たら、弱くなります。それは信仰という面でもそうですね。良い行いをしているわけではないどころか、いつも罪ばかり、信仰も揺れ動くこともある。たとえそうであってもイエス様は、「わたしは世の終わりまでいつもあなたがたとともにいます」と私たちとともにいて、味方でいてくださるのです。だから、どんな状況の中にあっても、私たちは恐れなくていいのです。「もしも主が私たちの味方でなかったら」それは大変なことになります。でも、主がいつも私の味方だから何があっても大丈夫なのです。