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コラム 牧師の書斎から

2022年11月06日 澤村信蔵

イエスは彼に言われた。「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じません。」…イエスは彼に言われた。「行きなさい。あなたの息子は治ります。」その人はイエスが語ったことばを信じて、帰って行った。(ヨハネ4章48、50節)

 私たちは、イエス様を信じていますし、またみことばを信じています。でも、案外、この最初のことばの様に、「~ならば私は信じる」「~となったら私は信じる」のような条件付き信仰もあるような気がします。この奇跡は、最初の奇跡、水をぶどう酒に変えたカナで起きました(46節)。人々の中に、もう一度奇跡を見たいという期待もあったのかもしれません。王室の役人は、自分の息子のために、イエス様が下ってきて、癒してくれることを願ったのです。つまり、自分のやり方に従うようにと知らず知らずのうちに言ってしまったのかも知れません。そういう状況だから、警告を言われたのです。しるしを行うなら信じてやろうとか、自分の思うやり方なら信じようとするその思いの危険性がそこにはあったのです。そうではなくて、イエス様がされたのは、人々の願いやこの役人の願いとは別の方法でした。役人が息子が治るとの言葉をただ信じて帰ると、息子はすでに癒されていたのです。神様の方法は、時に私たちの願いとは違う方法でやってきます。でもそれは私たちが思うよりはるかにすばらしい方法です。私たちの目の前では答えられなくても、私たちの願う方法でなくても、神は、神の最善の時に、最善の方法で答えられるのです。私たちは、何よりも確かな神の約束にいつも目を向けていきましょう。